エステティシャンとしてのはじまり

何の資格や取柄もない私ですが、エステティックの仕事だけは、「好き」で、何も苦を感じない、続けることに疑問を持たずにやることができて、今自分の理想のお店を持つことができました。

あ、でも41歳で遅い出産を経て、なかなか物事が上手くいかない時期、47歳で乳がんが見つかった時期などは、「もうエステはいいかな」という時もありましたが、それらを含めて、時々エステティシャンの独り言ですが、いろいろ呟きたいと思います。

今までの経験や、3度目のお店のオープン、経営に関する失敗や学んだことなども綴っていきます。

初めてエステの仕事を始めたのは、ちょうど30年ほど前の22歳、東京に住んでいました。正確には、女友達と家賃が8万円ほどのワンルームマンションをシェアしていたのですが、その友人と合わなくて、ストレスを抱えていたので、同居を解消したかったんです。

東京で一人暮らしをするには、寮のある会社に入るしかないと思い、エステと美容師、どちらか悩みましたが、国家資格なども不要の大手エステサロンに就職。無事寮での一人暮らしが始まりました。

今もあるのかな、、、結構強引な勧誘で、何十万とかの契約でローンを組ませるやり方が主流のサロンでした。昔はそういうとこが多かった印象ですね(^_^;)

10人入社しても半年後は1~2人しか残らない厳しさがありました。

従順でいい子にしていれば、上司に可愛がられるけど、いろいろと連れまわされ、コキ使われ、心身が疲弊していき、嫌われれば「あの子は腋臭だよ」などど嘘で陰口をいわれたり、いじめの対象になったりしました。女性の世界はいつの時代も恐ろしいものです。

私は特に可愛がられたわけでも、いじめられたわけでもありませんでしたが、気づけばたいした売上をあげてもいないのに人手不足で1年経つ頃には数ある中の1店舗の責任者になっていました。めちゃくちゃ売り上げを伸ばして、主任とか、ディレクターとか、どんどん上に行く人もいましたが、私は地味にただ生き残ってたから責任者をやってる、、、みたいな感じでした。

成績も鳴かず飛ばずのまま、1年が過ぎ、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と心に残る出来事をそのお店で過ごしました。

阪神淡路大震災の朝は、ニュースをみていなかったので、お店に出勤して、ご予約のお客様が「神戸の親戚と連絡が取れないから!」というキャンセルの電話で知りました。

地下鉄サリンはリアルに怖かったです。当時、銀座のお店にいたのですが、当日は新宿店にヘルプで昼出勤することになっていて、家でニュースをみました。その日地下鉄丸ノ内線は新宿止まりだったので、仕事には普通に行けましたが、その日を境に、銀座は武装警官がうろうろしていました。

長くなるので、今日はこのくらいで!

お読みいただきありがとうございました!(^^)!